Story

スリランカ発の宝石
(パパラチアサファイアほか)ストーリー
~代表・A.H.サジャートからのメッセージ~

歴史ある宝石の国・スリランカ

私の故郷・スリランカは、インド洋に浮かぶ北海道ほどの大きさの島国で、紀元前から世界有数の宝石産出国として知られています。なかでもラトゥナプラ(Ratnapura)は、世界的に有名な採掘地域です。
このラトゥナプラからほど近い西部海岸沿いにベルワラ(Beruwala)という港町があります。この町は、紀元前800年頃にアラブ人が港を開いて以来、宝石の輸出で栄えました。
ラトゥナプラで採掘された貴重な石の多くが、ベルワラから船で世界各地に運ばれていたことを考えると、「ベルワラ」という地名がシンドバットの「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」やマルコポーロの「東方見聞録」に記されていることにも納得できるでしょう。
ラトゥナプラで採掘された原石の加工技術の精度を高め、宝石として輸出することによって発展したベルワラが、首都コロンボからわずか車で2時間ほどに位置していることは、ベルワラが過去の「宝石市場」ではなく、いまなお世界中の貴重な宝石を愛する人々の需要に応えている理由のひとつであると思います。現在、ベルワラはスリランカ国内だけでなく、近隣諸国やアフリカなどから産出された宝石も持ち込まれて、盛んに商いされています。
ちなみに、スリランカの正統派ディ―ラーは、宝石の取り引きを行う際には白い色の服を着用します。これは「お金のある者もない者も、等しく商いをする」という戒めを持って、相手を服装で区別するような取引を行わないように自分達を律するためです。

少年時代からの本物を見る「目」

私は、1973年に、このベルワラに生まれました。この町のほとんどの人たちは、なんらかのカタチで宝石に関わって生計を立てており、私の家族や友人の多くも宝石の売買の仕事をしています。私の父も宝石商でしたので、私は生まれた時から、採掘されたばかりの原石や宝石が、ごく身近にありました。このような環境のなかで「本物」を見ながら育ったことで「ルースを見る目」や能力が培われたのだと思います。
子供の頃に、父から「これを売ってきなさい」と言われてルースを売りに行かされました。最初の頃は買い叩かれましたが、経験を積み、だんだんと納得のいく代金を手に入れることができるようになりました。
思い出深いエピソードもあります。私が12歳の頃、当時のベルワラでは、採掘された石をカットした残りの部分は山の周辺や川に捨てていたのですが、私はこの「捨てられた石」の中から、なんとも素晴らしい「スピネル」を見つけたのです。とてもワクワクする素晴らしい体験でした!
スリランカでは、いまも採掘・カット・研磨に伝統的な手法が重んじられていて、良質のルースを手に入れるためには「人脈」も重要なファクターとなっています。子供の頃から原石や宝石に親しむとともに、採掘者や宝石彫刻師と良好な関係を築くことができた人が、良質なルースを買い付けることができるのです。

宝石販売と「日本」との出会い

20歳を迎えた私は、ヒルトンホテル内の宝石店の販売員となりました。折しもスリランカの一大観光ブーム。日本からの観光客も大勢訪れ、たくさんの日本人のお客様に宝石を買っていただきました。
日本の皆さんは、私のカタコトの日本語をとても褒めてくださって、嬉しくなって日本語を一生懸命に勉強し、そのおかげで「日本語能力試験」にもパスすることができました。日本語が上達すると、さまざまな日本の方々と友達になることができ、楽しい日々を過ごしました。

抜擢され、ついに日本へ!

1996年10月には、私は抜擢されて、スリランカ直輸入の宝石販売をするために日本に転勤となり、翌年(1997年)1月には、御徒町5丁目に(私の勤めていた)宝石店の日本支店をオープンさせました。
この店では、リードエグジビジョンが主催するビックサイトでの「国際宝飾展」にも出展し、数多くのバイヤーと知り合いました。1997年6月には、震災復興を支援するために開催された「神戸 国際宝飾展」にも出店し、ここでは日本全国のお客様と知り合うことができ「日本を盛り上げるお手伝いをしたい!」という思いが強くなりました。さらに、大丸や三越といった老舗デパートの特別展示会にも出店して外商なども行うようになり、たくさんのお得意様ができました。

念願の自分の店をオープン!

セレンディップジェムスジャパン 東京ショールーム
2006年11月には、懇意にしてくださっているお客様方の支援もあって独立。宝石を見る「目」と、宝石を仕入れるための「人脈」そして日本での販売経験を生かそうと、長年の夢であった「自分の店」を開きました。
皆さんの後押しがなければ、日本で店舗を持つことなど、とても決断できなかったのは言うまでもありません。このほかにも、日本での永住権の取得、店舗の登記、住居の購入など、あらゆることに、日本で知り合ったお客様をはじめ多方面の皆さんからの援助を受けました。日本の皆さんには、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです!
セレンディップジェムスジャパン 東京ショールーム

「特別な宝石」への思い

一般的な定義では、宝石とは、色・光沢が美しく、透明度が高く、耐久性のある(=硬度が高く退色が少ない)、希少な天然石(鉱物)のことです。重量(カラット数)・質・産地などを示す種々の基準があり、それぞれが客観的な指標のひとつとして利用されています。
宝石を商品として流通させるうえで、一般的な定義やある程度の客観的な基準を設けることは必要ですが、自分や大切な人のための宝石を手に入れようとする時、何よりも大切なことは、自分が美しいと感じ、心から欲しいと思う宝石を見極めることです。
私たちは、長年にわたって培った「ルースを見る目」と、信頼のおける世界のネットワークを駆使して、質の高い宝石の数々を、直輸入ならではのリーズナブルな価格でご提供しております。それらを実際に手に取り、身に付け、楽しみながら、皆様がご自身にとっての「特別な宝石」に出会えるお手伝いをさせていただければ幸いです。
 


代表取締役 A.H.サジャート
代表取締役 A.H.サジャート

セレンディップジェムスジャパン株式会社
代表取締役 A.H.サジャート
 Ahamed Hussain Sajath

1973年、スリランカ・ベルワラ生まれ。1996年に日本に来日。その後、10年間、日本国内で宝石販売会社においてセールスに従事。2006年に独立し、セレンディップジェムスジャパン株式会社を設立。2008年10月、東京・上野にショールームをオープン。長年にわたって培った確かな「目」と、独自に構築したスリランカを中心とする世界各国に広がる仕入れネットワークを駆使して厳選したルースを仕入れ、加工・販売している。

マネージャー M.J.S.M.ラミース
マネージャー M.J.S.M.ラミース

セレンディップジェムスジャパン株式会社
マネージャー M.J.S.M.ラミース
 Mohamed Jaufer Sadik Mohamed Ramees

1971年、スリランカ・ベルワラ生まれ。1992年からスリランカの首都・コロンボにあるヒルトンホテル内の宝石店に勤務。
2012年より、セレンディップジェムスジャパン株式会社 東京ショールームに勤務。
モットーは「お客様一人ひとりのご要望に応える!」。

Serendib Gems Japan セレンディップジェムスジャパン